さかど葉酸プロジェクトが実施されている坂戸市の医療費が全国と埼玉県内で最低水準であることが明らかになりました
ビタミンB群の一つである葉酸は、巨赤芽球性貧血のほか、特に胎児の神経系の発達に重要な役割を果たす栄養素として知られており、これまで二分脊椎症や無脳症といった葉酸の摂取不足に伴う形態形成異常の予防を目的として、妊婦に対して摂取が推奨されていました。しかし、近年の研究から葉酸は動脈硬化や認知症などの生活習慣病や高齢期疾患の発症にも大きく関与している体内のホモシステイン量を減少させることが報告され、その重要性が明らかになっています(Smith et al. 2018; Zheng and Cantley, 2019; Bo et al. 2020)。
女子栄養大学は葉酸の健康におよぼす様々な役割に着目し、大学が所在している埼玉県坂戸市と共同で「さかど葉酸プロジェクト」を2006年から実施しています。「さかど葉酸プロジェクト」は、参加者に対して葉酸に関する講義とメチレンテトラヒドロ葉酸還元酵素(MTHFR)の遺伝子多型などを調べるための採血、介入前の食事調査、さらに調理技術向上のための料理教室を含めた生活習慣の改善指導も実施したのち、4ヶ月後に採血などの健康評価を行う介入プロジェクトです。現在国内では240μg/日の葉酸摂取が推奨されていますが、体内利用効率が低いことが知られているMTHFRのTT遺伝子多型を持つ者に対しては400μg/日の葉酸摂取を指導しています(Kagawa et al. 2017)。直接遺伝子多型の調査を受けたのは坂戸市在住の市民のべ1,000人に過ぎませんが、より多くの市民に対して健康セミナー等での啓発を行っています。また坂戸市では「さかど葉酸プロジェクト」の実施と並行して、葉酸を多く摂取できるメニューや、摂取できる栄養素を工夫した健康的なメニューを提供する店舗を「食を通じた健康づくり応援店」として認定するなど、市をあげて坂戸市民約10万人に対する健康支援を行っています。
「さかど葉酸プロジェクト」の成果として、坂戸市に住む男性の肥満率や高血圧、2型糖尿病、そして脂質異常症といった複数の代謝異常の罹患率が埼玉県の平均年齢が同等の別の3市(吉川市、朝霞市、桶川市)より低く、プロジェクトを開始した2006年から坂戸市の医療費が劇的に減少したことがすでに報告されていますが(Kagawa et al. 2017)、令和3年度埼玉県市町村別国保被保険者1人当たり医療費マップにおいて、坂戸市の1人当たり医療費が337,800円と埼玉県の平均(359,100円)よりも低いことが明らかになりました(図1)。
図1.令和3年度埼玉県市町村別国保被保険者1人当たり医療費マップ(香川靖雄講義資料)
坂戸市は総人口が埼玉県内の63市町村の中で22位であり、生産年齢人口(15~64歳)比率が29位と平均的である一方、65歳以上世帯員の単独世帯の割合が県内18位と高く、平均年齢(48.46歳)も県内36位とやや高齢の市となっています(埼玉県、2023)。そして人口10万人当たりの病院の病床数(同47位)や医師数(同41位)など必ずしも医療施設が恵まれているわけではないにも関わらず、坂戸市の医療費が県内で最低水準にある背景には、17年に及ぶプロジェクトを通じた坂戸市民の健康に対する意識の向上とともに、行政による一次予防の推進を目的とした様々な形での支援の成果と言えるかもしれません。
日本では平均寿命が延伸し、令和2年(2020年)の日本の平均寿命は男性が81.49年、女性が87.60年と報告されていますが、介護や医療的ケアに頼らないで過ごせる期間を示す健康寿命は令和元年(2019年)の全国平均値が男性で72.68年、女性で75.38年と報告されており、平均寿命と健康寿命の差は男性で8.81年、女性で12.22年となっています(厚生労働省、2021;厚生労働省、2022)。そのため、医療費が削減されても健康寿命が短ければ意味がありません。しかし、埼玉県の平均寿命は男性で81.44年(全国24位)、女性で87.31年(全国39位)であるのに対し(厚生労働省、2022)、健康寿命では男性で73.48年(全国3位)、女性で75.73年(全国20位)であり(厚生労働省、2021)、平均寿命と健康寿命の差も全国平均よりも短くなっています(男性:7.96年、女性:11.58年)。埼玉県は独自の定義(65歳に達した人が「要介護2以上」になるまでの平均的な年数)で県内の市町村別の健康寿命を算出しているため、全国や他の都道府県との比較を行うことは困難ですが、県内の市町村と比較すると、坂戸市の令和5年(2023年)の65歳健康寿命は男性で17.87年(県内34位)、女性で20.67年(県内33位)と埼玉県の平均(男性:17.87年、女性:20.66年)と同水準を維持しています(埼玉県、2023)。医療費の負担を減らしつつ、埼玉県内で平均的な健康寿命を維持できていることから、坂戸市は二次予防である疾病の診断と治療を目的として医療インフラを整備するのではなく、「さかど葉酸プロジェクト」の支援をはじめとする種々の行政政策を通じた生活習慣による一次予防が医療費の削減に効果的であることを実証していると言えるのではないでしょうか。
参考文献:
Bo Y et al. 2020. Association between folate and health outcomes: An umbrella review of meta-analyses. Front Public Health. 8:550753.
Kagawa Y et al. 2017. Medical cost savings in Sakado City and worldwide achieved by preventing disease by folic acid fortification. Congenit Anom. 57: 157–165.
厚生労働省. 2021. 健康寿命の令和元年値について. Available at: https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/000872952.pdf (アクセス日:2023年9月28日).
厚生労働省. 2022. 令和2年都道府県別生命表の概況. Available at: https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk20/dl/tdfk20-10.pdf (アクセス日:2023年9月28日).
埼玉県総務部統計課. 2023. 統計からみた埼玉県市町村のすがた2023. Available at: https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/235259/shicyouson_no_sugata_2023_toukeihyou_all2.pdf (アクセス日:2023年9月28日).
Smith D et al. 2018. Homocysteine and dementia: An international consensus statement. J Alzheimers Dis. 62: 561-570.
Zheng and Cantley. 2019. Toward a better understanding of folate metabolism in health and disease. J Exp Med. 216: 253-266.